国内最大規模のガソリンスタンド網を経営しながら、石油需要が半分に減ってしまうという衝撃的な見通しをもとに戦略を立てようとした異色の経営者のお別れ会が、ことし5月、開かれた。石油元売り大手「ENEOSホールディングス」名誉顧問の渡文明だ。石油元売り会社の再編に数多くかかわり、記者たちからは「石油王」と親しみを込めてそう呼ばれていた。石油全盛の時代を生き抜き、まさに激動の脱炭素の時代を迎えるいまこそ、常に先を見続けていた渡ならどんな経営戦略を打ち出したのか。聞いてみたかったのは私1人だけではないはずだ。※敬称略(経済部記者 永田真澄)
厳しさと明るさと
渡とはどんな人物だったのか。ENEOSホールディングス会長の杉森務が取材に応じた。
杉森会長
「とにかく仕事に厳しい上司だった。渡さんが常務になった時、常務会の当日は、朝早く来て待機してろと言われた。直近の販売動向についてレクチャーしろということで、めちゃめちゃ詳しいし細かい。下手なレクチャーをしたら、細かいところまで突っ込んでくるので緊張感があった」
渡はせっかちだったという人は多い。レクチャーする杉森も神経をとがらせて準備しただろう。
一方で杉森もよくゴルフを一緒にやったりお酒を飲んだりしたと語るように親しみやすい性格でも知られた。
記者に対してもざっくばらんに話しかけ、当時、経営の新たな柱にしようと取り組んでいた「太陽電池」、「蓄電池」、「家庭用燃料電池」の事業を「電池3兄弟」と名付けてみずから積極的にアピールしたりした。
その渡の力が最も発揮されたのが業界再編だとされる。
業界再編の中心に
渡が勤めた会社の名前は何度も変わった。
1960年に「日本石油」に入社したのち、「日石三菱」、「新日本石油」、「JXホールディングス」、「JXTGホールディングス」、そして現在の「ENEOSホールディングス」。業界第2位だった日本石油は1999年に三菱石油と合併して「日石三菱」となり業界1位となったが、役員としてこの合併に深く関わった。
翌年、渡は社長に就任。さらに2010年には、JOMOブランドのガソリンスタンドで知られたジャパンエナジーを傘下に持つ新日鉱ホールディングスとの経営統合を主導。社名をJXホールディングスとした。その後、会社は2017年に業界3位の「東燃ゼネラル石油」と統合した。
その「先見の明」を杉森は回想する。
杉森会長
「石油の需要が半減する時代に備えて、経営資源を何に振り向けるか。業界再編は生き残り戦略でもあるし、将来の大きな構造改革のためにも必要だった」
積極的な再編戦略を推進する渡は担当記者たちからは「石油王」と呼ばれるようになっていた。その次の一手を多くの経済記者は固唾をのんで見守った。
渡氏
「次はうちと大手電力会社、大手ガス会社の3社統合で総合エネルギー企業だ」
具体的な社名をあげて渡が本気か冗談か分からない統合構想をぶちあげるのを聞き、あっけにとられた記者は少なくない。
環境問題に向き合って
渡を業界再編へと突き動かしたもの、それは石油業界冬の時代への強い危機感だった。
1997年、「京都議定書」が採択。先進国に二酸化炭素の排出削減が義務づけられたのだ。さらにハイブリッド車の普及とともに自動車の燃費がどんどん向上し、国内の石油需要は1999年度から減少に転じていた。
ちなみに2019年度の石油需要はその時の3分の2まで落ち込んでいる。
渡の「先見の明」を象徴する真骨頂の出来事がある。
2003年、当時の東京都の石原慎太郎知事が軽油に含まれる硫黄分を首都・東京の大気汚染の原因として問題視。独自のディーゼル車の規制を実施した。石原が黒いすすの入ったペットボトルを手に訴える姿を記憶する人も多いだろう。
新日本石油の社長、そして業界団体「石油連盟」の会長だった渡はすぐさま動いた。
生産コストの上昇を伴う環境への対応は業界としては簡単なことではない。しかし業界に呼びかけ、研究開発や設備投資に全体として数千億円規模の投資を実施。従来の計画を2年から3年も早める形で「サルファーフリー」と呼ばれる有害な硫黄分をほとんど含まない軽油やガソリンの全国販売を決断した。
報告に訪れた渡に対し、石原は「英断に感謝する」とたたえたという。
その後「水素の時代が来る」と、脱炭素にかじを切っていく。
「格好いい」エネルギー
渡が2010年に著した本のタイトルは『未来を拓くクール・エネルギー革命』。「クール」つまり「格好いい」エネルギーとは渡によると水素のことだ。水素は脱炭素時代のエネルギーの本命候補の1つだとされる。
自動車の燃料のほか、航空機、それに火力発電の燃料として、今、各国が本格的な技術開発に乗り出そうとしている。
渡はガスから水素を取り出して発電する「燃料電池」の事業化に特に力を入れた。
杉森会長
「渡が『水素だ』と言っても当時は業界内でも社内でもピンと来ていなかった。それが渡の鶴の一声でまずは家庭用の燃料電池事業を一気に立ち上げることになった。結局、採算がとれず、私が社長になってから家庭用燃料電池事業からは撤退することになった。それでも渡からは『水素は絶対にやめるな。必ずこれから主役になる。水素の時代が来る』と言われた」
渡のメッセージ
渡は、晩年、みずからの母校、成城学園で理事長を務め、教育にも力を入れた。
今回、教育についての情熱がほとばしるような手書きの文書を入手した。少子化が進み、教育現場にも厳しい荒波が押し寄せる中でどうやって学園が生き残っていくのか。みずから書きつづったメモだという。
思いがほとばしるような筆致で書かれた数々のことばがあった。
「時代の要請する人材」として「社会を変え未来を創造する人材」だと言い切っていた。また「既存の概念や周囲の環境にとらわれずこれまでにない発想で物事を変えていく力」とも書き記している。
学園の幹部たちは、この文書にあるひと言ひと言に込められた意味に思いを巡らせながら学園について議論したという。その中にこんなことばを見つけた。
「自分の信じる道を自ら切り開くことが社会発展の原動力となる」
時代を読み、先見の明を示し続けた渡が残したメッセージ、私も胸に刻みたい。
経済部記者
永田 真澄
平成24年入局
秋田局や札幌局を経て経済部
経済産業省やエネルギー業界を取材。